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「嵐月庵たより」●百瀬 太虚
Taiko Momose

2000年夏から1年間、桜の取材の為、京都市右京区に暮らした洋画家・百瀬さんからの京都便りです。


【霜月】其之壱
百鬼夜行絵巻
今回は10月22日の時代祭と鞍馬の火祭について書きます。
時代祭は幕末から平安建都まで遡る、総勢二千人による、立体絵巻です。
この祭は平安建都千百年を記念して平安神宮が建立された翌年の明治29年に始まります。
すでに百年の歳月が流れました。
器物は、百年経つと九十九神になると言われています。
九十九神が行列をつくると百鬼夜行となり、絵巻にも描かれています。
時代祭はまさに百鬼昼行と呼ぶにふさわしい祭です。
これと対をなすのが、同じ日の夜に行われる鞍馬の火祭です。
こちらは総数大小五百本の松明が街道を練り歩きます。
松明は最後に山門前の広場で焚かれ、大松明が階段の上に何本も並び、 辺り一帯が火の海になります。
とても荘厳な眺めです。
松明がすべて広場の前に投げ出された後、山門前の注連縄が切られ、煙の向こうから神輿が現れます。
まさに神の出現と言う言葉がぴったりです。
天狗という鬼は神になったようです。
ただ、見物人の私たちは、午後の3時から10時まで立ち続け(祭が終われば12時です)、電車を1時間待ち、地獄に犇く亡者のように電車に詰め込まれて、幽鬼のような状態で家に帰り着くのです。
まさに、二万鬼夜行です。
2000/11/4
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【神無月】其之壱
桜が咲いた
今月の3日の朝は雨が降ったので、ウォーキングはお休みでした。
4日は雨が上がったので、朝5時に起きていつもの通り桂川の遊歩道をウォーキング。松尾橋を渡った嵐山東公園に来ると、どこからかかぐわしい香りがしてきました。
金木犀の香りです。「ああ、金木犀の咲く時期になったんだなア。」しばらく歩くと、再び金木犀の香り。「ここにもあるんだ。」遊歩道を渡月橋に向かって、又しばらく行くと、三度同じ香り。「へえ。」
そこからしばらく歩いて公園の外れまで来たとき、薄暗い空を背景に白い花が、ポツポツ。近づいてみると、なんと「さくら」の花。
今年は暑さのためか毛虫が大発生して、さくらは丸坊主でした。そのために、今の時期に咲いてしまったのでしょうか。
台風で葉が落ちた後に、さくらの花が咲くのは聞いたことがありますが、珍しいことです。金木犀とさくら。共に一週間で散る春と秋の花。それを一度に、京都で見られるとは。廻り合せの素敵な悪戯です。
金木犀は、いたるところに咲いています。一家に一本という感じです。
金木犀の垣根もあります。中でも、中ノ島公園の中ノ島橋の袂の3本の金木犀は圧巻です。見とれてしまいます。ホロホロと散る風情が思われます。
セイタカアワダチソウが黄色くなり始めました。コスモスはしばらく前から開いています。彼岸花はそろそろ終りです。荻の穂が風に靡きはじめました。
秋の花が咲いた後は、いよいよ紅葉です。
しばらくは、物見遊山の日々が始まります。その報告はまた後日。再見。
P.S.
9月22日は、晴明神社の例祭の前夜祭でした。湯立ての神楽などがありましたが、他のお祭と特に変わったことはありませんでした。
ただ、若い女性が多かったことは、愉快でした。「晴明様」が本当だったんだなと、実感しました。今、「陰陽師」などの影響で安倍晴明がハヤリだとは聞いていましたが。
あとは、絵馬がおもしろいです。夢枕獏,岡野玲子、荒又宏、嶋田久作、管野美穂、映画「さくや」のヒロイン役の女優(名前を忘れた)などがありました。機会があったら御覧ください。
2000/10/7
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【長月】其之壱
今朝は、京都に来て初めての、雨の朝になりました。朝の散歩はお休みです。
昨日、観能に行きました。重陽の日に枕慈童の半能を、嵐山の法輪寺で見たのですが、そのシテを舞った人の会が金剛能楽堂でありました。能楽堂はいくつか行った事があるのですが、座敷に座布団の能楽堂は初めてで、とても新鮮でした。曲目は、能楽が「大原御幸(おはらごこう)」「舎利」、狂言が「膏薬練」でした。
大原御幸は、動きが少なく舞がない曲目で途中何度か眠くなりましたが(これぞ夢幻能)、美しい能でした。舎利は、足疾鬼の奪った仏舎利を韋駄天が取り戻す話で、丁度シテの足疾鬼が仏舎利を奪って、天井を蹴破って逃げるときに、外で雷が鳴り夕立が降りだし天が人に呼応しているようで愉快でした。ただ、降りだした夕立は、帰るときになっても降り止まず、足疾鬼の涙に濡れて帰る羽目になりましたが。
この能は、先日焼け落ちた寂光院の復興祈念の能で一部を寄付すると言うことです。当方も、一日も早く復興することを願って些少の寄付をしました。
火事といえば、毎朝歩く桂川の堤から、愛宕山が見えるのですが、この山の山頂には愛宕神社があり、本宮にイザナミ命、若宮にカグツチ命、奥院に大国主命が祭られています。7月31日夜から8月1日未明にかけて千日詣でが行われ、火の用心のお札をもらってきます。
カグツチ命は火の神様で、イザナミ命が生んだ最後の神様です。その為にイザナミ命は、命を落とし、カグツチ命は、父であるイザナギ命に殺されてしまいます。その為、カグツチ命は、母に抱かれることも無く、母乳を与えられることも有りませんでした。
散歩道から見える愛宕山は、丁度乳房を横から見たように見え、山頂の少しずれた所に小さな盛り上がりがありそれが乳首のように見えます。時々その部分に雲がかかり、子供が母乳を吸っているように見えました。
愛宕山に、二柱の神様が祭られているのは、その為かもしれません。
母乳を吸われている母親は、至福の時を過ごしているそうですが、イザナミ命はどんな時を過ごしているのでしょうか。
●六地蔵廻り再考
前回の六地蔵廻りについて少し考えてみました。
炎天下に六地蔵を歩いて廻る事を考えると、気が遠くなると書きましたが、実際遠くなったのかもしれません。マラソン選手が、苦しい思いをしてまで走るのは、苦しみの後にとても気持ちのよくなる時が有る為、というのを聞いたことがあります。いわゆるランナーズハイと言うそうですが、地蔵廻りもそれに近いことを経験するのかもしれません。長い道を歩いた後に地蔵菩薩に会うことは観念ではなく、体験として、有ったのではないでしょうか。
考えてみると、このような体験は多くの女性がしているように思います。出産です。十数時間にも及ぶ陣痛に耐えて子供を生むのは、気が遠くなります。
そのお陰で、お猿さんのような生まれたばかりの子供に会った時でも、地蔵菩薩に会ったのと同じ気持ちになれるのでしょうか。
その点、男には地蔵菩薩に合う機会が限られているような気がします。如何なものでしょうか。再見
■今月の推薦コミック:次回の「たより」のために
「陰陽師」1〜9 原作:夢枕獏 画:岡野玲子 白泉社
「百鬼夜行抄(ひゃっきやこうしょう)」1〜7 今市子 朝日ソノラマ
2000/09/11
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【葉月】其の弐
地獄廻り
データ:小野篁(802〜852)現世においては参議、冥界においては閻魔庁の冥官。
京都の地獄廻りは、六道まいりに始まります。六道とは昔の葬送地の鳥辺野に接するあたりをいいます。六道珍皇寺では7日〜10日に六道まいりが行われます。
この寺には、冥界に通じる井戸があり、小野篁は高野槙をつたって冥界の閻魔庁に出勤したといわれています。六道まいりでは、水塔婆に高野槙で水を振り掛けて水回向をし、霊界まで響くという迎え鐘をつき、高野槙にオショウライさんを憑けてわが家へと迎えます。付近の六波羅蜜寺や西福寺でも六道まいりがおこなわれます。千本閻魔堂や千本閻魔堂などでも精霊むかえがあります。どの寺においても精霊を迎えるのは、地蔵のまえです。
また、万灯会も、壬生寺、車折神社、大谷祖廟などいたる所で行われます。夏の夜の闇の中を自転車でこれらを廻りました。五山の送り火も自転車で追いかけてみました。大文字から始めて妙、法、舟形(チラッと)、左大文字と見て、広沢池まで行った時には鳥居型は燃え尽きていましたが、燈篭流しはかろうじて見れました。
気温30度の夜の道を自転車を飛ばしたあとの冷たいコーラは甘露でした。「地獄で仏」とはこのことかと実感しました。
こうして先祖を供養します。
22日23日は六地蔵廻りです。この六地蔵は、小野篁が地獄で見た地蔵菩薩を写したものといわれます。
伏見六地蔵(奈良街道)、鳥羽地蔵(西国街道)、桂(丹波、山陰)、常盤(周山)、鞍馬口(鞍馬)、山科(東海道)の各地蔵を廻り、「幡」を集めます。
鳥羽から伏見に行くときバスに乗ったのですが、炎天下でバスを待つのは灼熱地獄にいるようでした。昔はこれを徒歩で廻ったのかと思うと気が遠くなります。
こうして集めたお「幡」を、玄関に吊るし厄除けにします。
23日24日は地蔵盆です。これは子供たちのお祭のようです。辻つじの地蔵の化粧直しをして、いろいろな行事をして、子供たちの息災を願うと共に、共同体の一員としての自覚を持たせていくようです。小正月の三九郎の行事に似ています。こうして文化が受け継がれます。 この間に六斎念仏や千灯供養などもあります。
こうしてみると、京都は地蔵に溢れています。市電やビルを作った時も、地面の中からたくさんの地蔵が出てきたそうです。地蔵菩薩は、地獄においては、罪人のために悲しみ嘆かれ、その人が受けている苦しみの悪因悪果の道理を説いて聞かせ、その人に代わって罪苦を受けられたそうです。
「山口百恵は菩薩である」と言った人がいましたが、さしずめ観音菩薩でしょうか。地蔵菩薩といわれて思い出すのは、「中島みゆき」かな。彼女の詩がどれだけの人の心を慰めたか、そう思うのは自分だけではないはずだ。ちょっと違うか?
どちらにしても京都は不思議に満ちています。
京都に来た最初の夜は、炎熱地獄でした。暑苦しくてよく眠れませんでした。5時前に起きて桂川の堤を歩きました。朝日が昇るのを見て得をした気分になり以来毎日5時起きです。そのお陰で満月が山に沈むのを見ました。美しい朝焼けを見ました。40年生きてきて、初体験がこれほどあるとは。
人生にはいろいろな所に地蔵菩薩がいるようです。石を積むのは、それらの地蔵菩薩に会う為なのかもしれません。二千年の八月は、一生忘れられない月になりそうです。
ただ、早く涼しくなってくれ〜。また、たよりをします。再見。
2000/9/8
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【葉月】其の壱
台湾では、8月のことを鬼月というらしい。それは8月に、地獄の蓋が開いて、亡者が地上に溢れるからだ。
これは、京都にも当てはまる。
京都の8月は、六道参りに始まり、万灯会、送り火、六斎念仏、とあって、六地蔵廻り、地蔵盆に終わる。祖先を迎え、供養をし、送り出すことに、一ヶ月が使われる。地上は、亡者で、溢れているのだ。
ひっそりと灯された提灯や燈篭の灯が、暗い京都の辻つじを、ほのかに照らし出す。すれ違う人の顔も、よくは見えない。前を歩く人が、一時この世に戻ってきた人でも、気付かないだろう。それほど、京都の夜は暗い。
それほど暗いのに、無灯火で走り回る自転車は、なんなんだ。暗い夜道で、いきなり飛び出してくる自転車には、びっくりさせられる。あと、信号無視の自動車が多い。交差する信号が青になって、車が動き出すまでは、自分の側の信号が赤でもどんどん突き進む。あれでよく事故にならないものだと、感心するくらいだ。ただ、こちらもそれに、感化されそうなところが怖い。つい、自転車のブレーキが甘くなる。
この時期の、京都の行事は、ほとんどが夜に行われる。枕草子の「夏は夜」と言う言葉が、実感できる。
京都の昼間は「炎熱地獄」。やはり、京都の8月は、地獄の釜の蓋が開いている。
2000/8/31
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